● トリプルネガティブ乳がん  

●2017.08.21 Monday
はじめてのブログ
日記に関しては続けたことがない私です。家計簿は何とか続いていますが。
 今年の4月に乳がんを告げられ、5月29日より治験がはじまりました。 始めは備忘録程度に話のタネをノートに書き留めていたのですが、いつのまにかほったらかし。
facebookにも書こうかと思ったのですが、うっすーい人脈の方には何となく重いようなテーマだし、更新もしてないし。
書き始めて、またほったらかしになったら、死んだと思われるんではないかと妙な心配もして。 でも自分の病気を検索した時に、同じような病気の方のブログがとても役に立ったので、ちょっとやる気になった次第です。
 もう一つの理由は、私の乳がんがちょっとレアみたいなので、同じタイプの人が見つかればうれしいかなと。 治療もブログもいつまで続くかわかりませんが、まずははじめの一歩です。


2017.08.22 Tuesday
クリニックへ
胸のしこりは2~3年前からあったのですが、生理の周期に合わせてチクチクと痛かった事、乳房の下の方だった事で、乳腺症だと思っていました。
4月に入って1週間過ぎた頃、痛みがチクチクからズキズキに変わり、胸が左の方だけ少し大きくなり、乳首が引き攣れるようになりました。これは病院に行かねば、いつ行ける?
私は訪問リハビリの仕事をしていまして、その頃は帰宅時間が19時過ぎ、診察時間に間に合いません。首のリンパ節にも米粒のようなコロコロが出現し、さすがの私も焦っていました。
そんな状況の4月12日、訪問予定の利用者さんが入院となり、キャンセルの連絡を受けました。Sさんありがとう(涙)

で、近所の消化器外科が専門ながら、最後の行に乳腺外科を標榜しているクリニックに駆け込みました。
最初は先生も乳腺症を疑っていたようなで、軽妙な口ぶりでしたが、胸を見てからは顔つきが変わり、エコー、細胞診へ。
その後、「僕の経験から、あなた癌だから。紹介状書くから、明日朝一R病院に行きなさい。いいね?」のお言葉。明日は免許の更新に行こうと思ったのに。
涙は出ず、えーというかふえぇ~と力がぬけたような感覚でした。

へらへらした顔をしていたからか、再度先生から「行ける?」と念を押されました。
会計待ちでは看護師さんが横に引っ付いて来て、一生懸命励ましてくれ、あったかいな~とほっこりした気持ちでした。
でも家に帰ってからは、腑抜けて、1時間程ぼーっとして、ポケットティッシュ1個分の涙を流し、長生きしたかったのにと意気消沈。
それから、無駄にかけていた2つのガン保険の診断一時金、2つともおりるかしらと、ほくそ笑んでいました。ちゃんちゃん。
次へ続く。
 


2017.08.24 Thursday
病院での検査
4月17日、穿刺吸引細胞診、針生検、マンモトーム生検を受けました。穿刺外来って、痛そうな名前ね。
 診察した時の先生が、エコーで確認しなからまず首に針をさして細胞を取っていきます。計3か所。
「うまくいってますよー」って、うまくいってないと困ります。なんせ首ですから。 そのあと胸に麻酔を打ち、太めの針を刺して「パチン」。
始めは痛みもなく、続いて2回目の「パチン」。少し痛かったことを伝えると麻酔を追加してくれたので、少し安心していたら3回目の「パチン」が一番痛くて「いててっ」と。
「はい終わりましたよー」。麻酔の意味は…。 先生が両手で胸を「ぎゅう」と押さえて止血、看護師さんに交代してさらにしばらく「ぎゅう」。テープをぺっちょり貼られて帰宅しました。
 夜お風呂場でそーっとはがしてみると、細胞が取られたことがはっきりわかるへこみが2か所。ガンもちゅーっと取ってくれたらいいのに。と、その頃は呑気に思っていました。
次の日、最初に行ったクリニックから電話があり、検査結果が出ましたとのこと。

仕事終わりにクリニックに寄ると、「病院行った?」と確認。そんなに信用されてないのね。
病院の先生が淡々としていることにブーブー言っていると、真っ赤な中に黒い細胞がにょろにょろと浮き出ている写真が載った報告書をプレゼントしてくれ、「あんたは強いから、人生設計考えて、抗がん剤でも、放射線でも好きな治療をしなさい」
とのお言葉。(手術はできない状態とすでに言われてました。) 「人生設計」って、私90歳まで生きて、ユニットリンクの満額2千万円ゲットして、世界中を徘徊しようと思ってたのに。

 「好きな治療」って、自分で選んでも大丈夫なの?とぶつぶつ言ってると、「出たとこ勝負で決めたらいい」とかるーいお言葉。
 確かに何も治療が始まってないのに、あれこれ考えても意味ないわね。「出たとこ勝負」でいきますか、と悟りました。
次回、ICへ続く。


2017.08.26 Saturday
IC
4月25日、検査の結果と治療方針を聞きに病院へ行きました。家族の同席を求められたのですが、実家(他県)の母も父も別々の病院に入院中ということで、上司の看護師がついてきてくれました。
 10日もたてば乳がんという言葉にも慣れ、問題はステージです。 先生は相変わらず表情を変えることなく、淡々と説明をしてくれました。
乳がんについては色々と勉強もしてきたので、「ふーん」と聞いていました。 リンパ節にもガンが散らばっていて、手術はできないこと。
トリプルネガティブというタイプなので、抗がん剤での治療になること。入院はせず通院治療になること。
と、一連の説明をした後に、O医療センターで治験をしているので参加を検討してみては、とのお言葉。
3人に1人は治験薬でなくプラセボに当たるけど、いずれも抗がん剤を併用するとのことで、「参加してもいいかも~」と、にこにこして答えました。
あっさりとしたICは15分程度で終わり、先生もホッとしたのか、にっこりと笑顔になりました。
 その後、すぐに帰れるのかと思ったら、血液検査とCT検査が待ち構えており、「えぇー」。
診察室の外で待っていると、乳がんの認定看護師さんがそばにきて、「大丈夫ですか、にこにこ笑ってたから」と心配そうな顔で聞いてきたので、
「医療関係の仕事をしているので、もっと重症な方を相手にしているので、別に」と。
その後、仕事の内容などを話して検査に向かい、お会計へ。あんなICで保険点数500点とは、ぼろもうけやな。トリプルネガティブですというための検査で4350点!
 ガンって検査にもお金がかかるんですね。後で受けたMRIも合わせて自己負担4万四千円ちょっとでした。
 早速次の日、ドキドキしながら2つの保険会社に電話をして、診断給付一時金を受け取る準備をしました。 なぜドキドキしたかって?
 一時金300万円のガン保険は、毎月の掛け金が1960円、1年2か月分払ったところで保険金請求となり、一時金100万円の医療保険は、毎月の掛け金が6652円、10ヶ月分払ったところで保険金請求となったからです。
 なので、「保険金詐欺と思われてはいかん」、と電話ではなるべくトーンを落として、暗い声になるようにちょっと演技をしてみました。 ムフフ。
 次回へ続く。
 



2017.08.27 Sunday
治験へ
(治験とは新しい薬の臨床試験の事です。新薬のテストみたいなものです)
5月1日にMRIを撮りに病院へ行きました。受付の方から「先生から話があるので」と言われ座って待っていると先生が駆けつけて、「治験はどうする?」「やります」「この前の話しぶりで、そうだと思って」
と治験先の先生とメールをやりとりして下さったようで、「それが、明日来るようにと言われてるんだけど…」「は?明日?あー何とかします」
「明日来いっていうぐらいせっかちなんだけに、話もすっごい早口だけど大丈夫?」「あー、まあ大丈夫だと思います」とにこっ。


先生もほっとしたようで、5月2日の診察を一週間ずらすことになりました。5月2日、朝一で紹介状とCD-ROMと細胞のプレパラートを抱えO医療センターへ。
待つこと4時間、治験責任者の先生が「治験の話を聞きたいそうで」とニコニコ。
そっちが今日来いって言ったから来たんだよっ。メール読んでないのか。 という思いを笑顔でやんわり醸し出しながら、「治験します。早口だから頑張ってねと言われました。」とにっこり。


 早口だけども滑舌がいいので治験の説明も比較的聞き取りやすく、病院のホームページの顔写真より少しふっくらしてて優しそうな先生でした。
 説明の途中で医療関係者だとわかり、自分の仕事の状況を伝えました。仕事優先で抗がん剤治療のスケジュールを調整できるとのことで安心しました。
 副作用については、その頃ヘアードネーションをしようと髪をかなり伸ばしていたので、「6月までは抜けません」とのお言葉で安心しました。


手足のしびれが出ること、治験薬で強く出るかもしれないことを言われましたが、日常生活については「行動制限なし」とのお言葉をいただきました。
その後、治験担当の看護師さんから説明があり、お昼の1時過ぎから、再び「パチン」の細胞を取りました。
先生たち昼休みもなく仕事をされて、えらいなーと思います。


それからは、骨シンチ、心電図、CTの予約を取り、5月22日から治験スタートのはずでしたが、まだ閉経してないため、治験開始72時間以内での尿検査が必要ということで結局5月29日からの治験スタートになりました。
 乳がんと言われて約1か月半での治療開始です。


 5月9日にR病院に行き、経過を説明。「大丈夫だった?」と聞かれ「心の準備ができていたので大丈夫でした」と答えると「職業柄慣れてるから?」とにこっ。
 私は言語聴覚士なのですが、それはあまり関係ない。


 でも肝心なCTやMRIの説明はありませんでした。もちろんO医療センターでもなし。結局私の病状はいかほどのものなのかわからずじまい。
 R病院の先生は、保険会社に送る診断証明の書類を速く仕上げてくれたので、それを見ましたら、 浸潤性微小乳頭癌 TNM分類で、T3 N3 M1でした。ググると結構やばい。


 ちなみに治験の名前は 切除不能の局所再発又は転移トリプルネガティブ乳がんの化学療法未治療患者を対象としたMK-3475及び化学療法併用投与とプラセボ及び化学療法併用投与を比較する二重盲検、無作為化、第Ⅲ相試験といいます。

 

肺がんや皮膚がんで使ってるキイトルーダを乳がんで試してみましょ的な。調べれば調べるほど乳がんて奥深い。 ちなみに骨シンチでは骨の転移はありませんでした。そのほかは不明。
自分の骨格の画像を見ると、とても感慨深いです。結構しっかりしてるなあと思いました。
膀胱におしっこがたまってるのがくっきり見えるのは、なぜかちょっと恥ずかしい。 生まれて初めての抗がん剤については、
次回に続く。
 



2017.08.28 Monday
治験スタート
5月29日、治験が始まりました。妊娠してないことの確認での尿検査と一緒に血液検査をしていたので、当日は体温・血圧・身長・体重を測定して診察へ。
体重に合わせて抗がん剤の量を調節するそうな。


その後、治験用の採血をした後、化学療法室の受付に。お薬ができるまで1時間かかるとのことで、お向かいのN宮跡の木陰でお弁当を広げてました。 再び化学療法室に入り、リクライニング式の椅子に座ると、看護師さんがご挨拶。

 研修医と思われる若いお医者さんが、右手首のところにぷちっと針を刺します。
さんざん採血やら造影剤の注入やらで痛みには慣れ慣れ。ただ母親ゆずりの血管の細さなので、皆さん慎重です。
はじめに吐き気止めの薬の点滴。生食にアロキシとデキサートをまぜまぜしながら入れた後に、治験薬(この時はあたりかはずれか不明)、抗がん剤のアブラキサン、最後に生食で約一時間半弱ぐらいだったかな。
 お会計は4890円。吐き気止めは自己負担です。それでも高いよね。他の方のブログでは、アブラキサンは一回で保険の上限額に達するぐらい高いそうな。
アブラキサンの冊子を読むと、大概は1回点滴して3週お休みのサイクルみたいですが、私は3週連続点滴して1週お休みのサイクルです。多分1/3ずつに小分けしてるのかな。


 ただ、白血球(好中球)のもどりがのんびりしていて、現在までは2週お休みのサイクルで来てしまってます。
治験薬は一回点滴して2週お休みのサイクルで一定です。なので治験薬投与のみの時もあって、その時はすぐに終わるので楽ちん。ただ、どうやら治験薬当たりのようで、針を抜いた後が結構痒い。
これが1週間ぐらい続くし、赤いポツのままだし。 ところで初めての抗がん剤投与後はどうなったか。「明日の朝、副作用が出て仕事行けなかったらどうしよう」
と、ちょっと興奮してあまり眠れませんでした。だけども何も変わらない朝が来て仕事に向かいました。


 副作用なのかどうかわかりませんが、朝の8時頃に一杯ひっかけたように顔が真っ赤になったことと、便が出なかったこと、ぐらいがそれっぽいかな。
 原因は何だ、と吐き気止めの薬をググって調べると発赤とあったのでそれかもと思いつつ。顔が赤くなるのは3週続きましたが、今は何も起こりません。
身体がびっくりしたんだろうね。便秘というかウンコさんがかたーくなるのは続いていて、酸化マグネシウムで乗り切れてます。そのほかのプチ副作用はまた今度。
 仕事の件は、次回に続く。
 



2017.08.29 Tuesday
仕事のこと
私の仕事のスタイルはちょっと変わってまして、重心児のショートステイとデイの施設の名目上理事、実質は何でも屋(保育士と臨床心理士の資格も持ってますが)。
それと7か所の訪問看護ステーションと契約して仕事を請け負う訪問リハビリの仕事をしています。あと、保健所の仕事も少し。
一年で一日フリーな日は10日ぐらいで、ほぼ毎日何かしら仕事をしていました。 フリーな分、働いた分だけ収入は上がり、税金も上がる。最近の趣味はふるさと納税。


言語聴覚士で訪問リハビリの仕事をしている女子(←これ重要)は少ないのです。かつ人口が少ない地域でも行きますよ~てな人は。なので仕事は途切れません。
 で、抗がん剤治療に入ると仕事どうしようか~と、自分の体よりも仕事の方が心配でした。
 担当している利用者さんは、もういい加減卒業しましょうよ、ぐらいのレベルの人から人工呼吸器をつけた方、心に病を持ってらっしゃる方、人生の終わりが近づいている方、様々です。


 自分の病気を伝えるべき?どの順番で、誰にどう伝えよう?と珍しく悩みました。まずは担当するケアマネさんと二人っきりの時に、「あのー私乳がんなんですぅ。こんな時、誰に相談したらいいですか~」と普段通りに行ってみると、「えーやめてよ~」とえらい心配そうな顔をされまして、あーこういう感じに受け取られるのね、と心の準備ができました。


ケアマネさんのアドバイス通り、まずは所長クラスの人から言っていきました。

幸いにも周りは看護師さんやリハビリ技士さんといった医療関係者ばかりなので、みんなが同席してても、普段通りに(明るく)言っていき、病院に行く曜日にあたる人は、作業療法士さんや理学療法士さんに代わりに行ってもらったり、曜日の融通が利く方は、検査や治療に合わせて休ませてもらえることになりました。

また幸いなことに、とあるステーションに新しいSTさん(それも知り合い)が入ってきてくれ、「○○ぐらい稼げまっせ」との甘いささやきで、私と同じようにいくつかのステーションに契約して頂き、担当変更OKな利用者さんを引き継いでいただきました。


 その頃はまだ抗がん剤治療が始まっていなかったので、体調がどうなるか未知数です。なのでとりあえず継続できる利用者さんのステーションの管理者さんや、ケアマネさんには電話やメールで病気のことをお伝えしました。
反応は人それぞれでしたが、意外にも「私も乳がんの経験者だから」とのお返事があったのには驚きました。


 利用者さんには、理解できる方にはお伝えしましたが、ご自分の病気以上に心配してくださったり、気遣いをしてくださったり、本当に感謝です。
利用者さん(脳腫瘍)、その奥様(肺がん)、そして私(乳がん)、と3人ともガン患者となると病院のこと、先生のことおしゃべりの花盛り。で、現在は訪問件数はほぼ半分になり、のんびりと仕事をしています。相変わらず一日フリーな休みはなく、土日も働いています。
施設では入浴介助もなんのその。子どもを抱えて遊びます。 副作用の少なさに(脱毛と白血球減少は除く)、「元気だね」と所長や利用者さんのご家族から言われます。
医療センターの先生も「元気よね?」と一応確認。「疲労は?」との質問に「そりや毎日仕事すればそれなりに疲れますわ」と答えるぐらいです。医療の進歩に感謝です。
 それでも、時々胸がズキっと痛むので、乳がんであることは忘れてはいません。抗がん剤治療をしてますが、おっぱいは豊胸手術を失敗したような形で硬いままです。これが現実。
次回は母への告白のことを書きます。
 


 
2017.08.30 Wednesday
母に伝える
クリニックで乳がんと言われ、看護師さんから家族に言うのよと念を押されましたが、言えるまでには時間がかかりました。
理由の一つが、母が骨折の治療ついでに膝の手術もして半年間入院していたこと、
父が胆石での治療入院中に胃がんが見つかったこと、
胆石の治療で入院することになったことを妹が母に伝えた時、
自分の治療で頭がいっぱいだから、父のことは知らせなくていいと母が言っていたこと、
 母の退院が間近になっており、家での生活に不安を抱えていたこと、
 そんな母に自分が乳がんだとはとても言えないな~と思って、自分の胸にちょっと置くことにしました。
R病院では、ICに家族のだれでもよいから同席するよう言われ、う~んと考えました。
妹二人は子供がいるし、新幹線で来てもらうなんて時間的な負担はかけたくないし。
ICに上司の看護師が同席してくれたのは本当に助かりました。
 まずは自分が元気な姿を見せれば、ちょっと気楽に言えるかなと思い、母が退院した次の日に帰省し、母の動きを確認。
病院とは勝手が違うようで、動作の一つ一つに「どうしたらいい」」「こわい」の連発でした。
以前だったら、「元気してん?」と聞いてくる母ですが、この時は全くなし。
さらに麻央ちゃんのことがTVで流れたりすると、「こりゃー言えんなー」と思いました。
 2日間の帰省でとにかく、母の身の回りを整え、家の大掃除をして帰りました。
 それから10日ほど経った頃に母から電話があり、昔お世話した友人が毎日来てくれて、歩行練習や入浴、車の運転の練習に付き添ってくれ、
家での生活に自信がついてきて、6月からは店(実家はお好み焼き屋)に出ると元気そうにしゃべり、
「ところで元気しとんやろ?」と聞いてきました。
この頃には、周りの方々に乳がんのことをほぼほぼ伝え終わって、
十分練習ができていたので、「元気だけと、体は良くないよ」と一言いうと、「どしたん、…ガンかな」母の直感は恐ろしい。
「そう、乳がん。多分治験で抗がん剤の治療するよ。保険金もおりたから、心配せんといて」
手術ができない理由は言っても理解できないので、詳しくは言わず。
母は、「仕事のしすぎじゃ」と一言。まあ、それも当たってはいるけど。
そして次の日にも電話があり、昨日はびっくりして言えなかったけど、と、別の病院に見てもらった方が、手術をしたほうが、仕事を休んだ方が、
と母なりに色々考えたことをしゃぺってきました。
母らしい反応だなあと思いながら、三か所の病院で診てもらったこと、抗がん剤の治療以外に方法がないこと、を重ねて伝えると、
「何かあったら電話してよ。お母さんにいいにくかったら○○ちゃん(妹)にでも言ってよ」と。
母も私の普段と変わらない声に安心し、私も母の普段と変わらない口調に安心し、やっと心のひっかかりが取れて、ほっとしました。
抗がん剤治療が始まってからは週に一回、生存確認の電話が鳴りますが、
最近は、私が叔母から購入した家のお金を振り込んでくれだの、ブドウをもらったから送るだの、以前と変わらない会話になりつつあります。
次回に続く。


2018.01.07 Sunday
病院はじめ
年末年始を実家で過ごしました。
家族の反応がちょっと心配でしたが、妹は色々質問してきて、最後は「普通じゃなー」と。
そして、ヅラの自然さに感心。
母は最初は「しんどいんじゃろ」としきりに気遣っていたものの、次の日からはいつも通り。ガン仲間の父は、胃を2/3切除して治療は終了とのこと。
何とうらやましい。食事の様子はあまり変わらず。料理人だった父は、家族の集まりにあわせて茶碗蒸しやら、だし巻き卵やら、すき焼きやら、
私が持ち帰ったふるさと納税の鰹のたたきやらを料理してくれました。丁寧にとっただしはうまいですなぁ。
 大混雑にもまれながら1/2に帰宅、さすがに疲れました。1/3はほったらかしにしていた窓掃除と換気扇のお掃除をして、1/4仕事はじめの前に病院へ。
休み明けで混むかと思ったら、意外にもがらがら。一番に診察室に呼ばれて、ちんちくりんと新年のご挨拶。
「今年もよろしくお願いします」とは言ったものの、一年間通うのか~と思うと、はぁ~ってな感じ。
ちんちくりんからは、次回が火曜日だと好中球の数がちょっと心配とのこと。で、また木曜日にずらすことになりました。
9日がババ混みとケモ室の看護師さんから聞いたので、かえって好都合。1/4もお昼には点滴終了し、15時半からのんびり仕事に出かけました。
ステロイド剤のおかげで1/6の21時までは元気だったのですが、急にガス欠。ナマケモノに変身しています。
6日に届いた弾性スリーブはなかなかいい感じで、服の袖が通しやすい。今後に期待。
本日は、左薬指の爪は上半分がほぼ黄色、死んだかと思われましたが、たまにピンクがかっています。足は久しぶりの筋肉痛。
左の胸は地味に痛むので、気休めのイブちゃん服用。炎ありますが、すぐ治るので無視。こんな状態から平成30年スタートです。
 今年の目標は、このまま元気で仕事をすること、だけで終わらせたくないのですが、ナマケモノの頭ではいいアイデアが浮かばない。
海外旅行したいけど、パスポートの期限が切れてしまった。イエローカードはまだ2年残っているのになぁ。石垣島と東北を旅したいなぁ。休み取れるかなぁ。
 次回に続く。

 

 

 

 
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